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私は、強迫の頃、頭の中では、どんなに考えても、強迫観念の可能性がゼロにはならないってことが、よくありました。
世の中、菌でも有害物質でも、ごく微量なら、いたるところにあるってものが、いっぱいあります。しかし、大半の人は、特に気にしないで生活していますよね。
安全であることを確率で考えれば、家でじっとしていても、空から落下物が落ちてきたり、車が突っ込んできたりという確率は、決してゼロにはならないわけです。
私が強迫だった頃は、カビの菌の広がり方が、本に書いてあることと違うと気づいたら、どこまで警戒していいのか、その範囲がわからなくなって、強迫の対象の一つになっていました。
そのために、不潔恐怖の人が、汚いと考えるエリアを自分で定めて、それに近寄らないようにしたり、もし触ってしまった場合、過剰に洗って解決するというのと、似たような状況に、私もなっていたわけです。
また、私は、理系だったし、自分で調べられることは、当時、かなり調べていました。誰かのいい加減な答えだと、自分の中の矛盾が解消しなかったです。
その頃、それに対抗する理屈として思い出したのは、私が工学部の学生時代、教科書にあった考え方です。
電気回路をつくるとき、物理の法則を使うのですが、実際の回路では必要な法則だけ使って、微量で、無視しうる程度のものは、法則を考えなくていいってことになってます。例えば、ただの電線からでも、ちょっとの温度の違いで微細には電線の状態は変わるし、ものすごく小さな雑音が発生するなどという公式は、探せばいっぱいあります。でも、もし1ボルトで動作する回路で、それによる影響が、計算では、0.0001ボルトといったように何桁も小さい数字であれば、実際には、まったく影響ないので無視します。理論だけの物理と違って、実際にそれを製品にする工学では、無視できるほど小さいとして、そのような公式は考えないようにしないと、やっていけません。
頭だけの観念的な理屈を、実際の世界に当てはめるには、こういうことが必要なんです。
認知療法には、このように、頭だけの理屈を、現実にそぐわないほどにしてしまっているパターンが、いくつか知られています。
私は、自分が強迫の頃、とても理屈っぽかったので、薬だけでは絶対治らないって、信念がありました。(笑)
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